自己肯定感の低い占い師

ずっと忘れていたけど、ある時ふと脳裏をよぎる言葉とか経験。そしてそれがどんな意味であったかに突然気づく瞬間というのが、誰にでも一つや二つや三つ…いやもうちょっとあるかもしれない。

もうずいぶん前・・・どのくらい前か精密に書くと読み手の皆さんの想像力を欠いてしまうので、ずいぶん前としておくとして・・・とにかく誰もが初めて人生の岐路に立つ年齢である18歳の時、当時巷でちょっとしたブームになっていた「占い」「人生判断」というものに関わる機会があった。

きっかけは他の誰でもない母親だった。普段迷信じみたことや胡散臭い事には一切かかわらない姿勢を見せる彼女なのだが、実は交友関係が実に多様性に満ちていて面白い。そんな彼女が私にこんなことを言った。

「ちょっと、***にめっちゃ当たる占いのおばちゃんがおるんやで。あんたも行ってきてみ。ちょっと口が悪いおばちゃんやけど、とにかく言い当てるで。」

このまま大学受験するべきか・・・何かやりたいことが見つかった時のためにとりあえず仕事して軍資金を貯めようか・・と、まさにこれからの人生の選択について真剣に悩んでいる多感な娘に、実の母親がこんな安っぽいことを言ったのだ。

いや、これはある意味「あなたの人生これからなんだから、そんなに思い悩まず他人に意見聞くくらいの気楽さで生きなさいな。」という母からの偉大なメッセージだったのか?(・・・なんてことは絶対ないな。)とにかくそんないきさつがあって、とりあえずあの母が感銘を受けるほどの占い師とはいったいどういった人物なのか、そこにまず関心を惹かれ、隣の城下町まで出かけてみることにした。こういう時、普通の18歳の少女はその好奇心と友人を盾に戦場に向かうのだろうが、私はその頃から「おひとり様」傾向の強い女子だったため、何にためらいもなく一人で向かった。

城下町の昔さながらの路地の一角にその薄暗い町家は存在した。一言でいうと「よくこんなところ見つけたな・・・。」という感じであったが、それと同時に「主婦の口コミの威力」も実感した。占いの館という言葉とは程遠い、ごく普通の古びた一軒家。その中から路地中に実況中継でもしているのではないかと思われるくらいの、威勢のいい声が響いてきた。

「・・っていうか、私の人生に関わるアドバイスがこんな風に一般公開されてしまうのか?」

と少々不安に思ったが、しょせん占い。ここまで来て気にするなら初めから来なかった。と思い、その敷居をまたいだ。

少々気難しい表情のその初老の女性は、小さなちゃぶ台を挟んで私の目の前に胡坐をかいて座りながらこう言った。

「ホンマはな、こんな事別にしたくないねん。お金も初めは貰ってなかってん。でもあんまり人が増えてくるから、しょうがないから500円貰うことにしたんや。若い子からお金とって悪いな。」

金額の安さで逆に信ぴょう性を感じてしまうのは関西人の性かもしれない・・・。

彼女は私の名前と生年月日を聞き出すと、おもむろに目の前に置いてあるレターパッドにそれらをまるで暗号のようになぶり書きにした。そしてどう見ても「串カツの櫛」にしか見えないものの束をバッとその上に広げ、更に気難しい顔をしてこう言った。

「あんたはどっか遠いところに行くなあ。何処かは全くわからんけど、なんか凄く遠いところやと思うわ。北海道じゃないな。南やな。あんたは末っ子かいな?それにしては将来的にはあんたが先祖を守るみたいやで。」

その他にも、こちらから何も訊かないのに、次々と面白いことを教えてくれた。そして、私の右の手を取り、観察しながら続けた。

「結婚は…まあ遅いけどするな。子供はまあ二人でええんちゃうか。英語?英語はあかん。日本語の才はあるから日本語がええな。30代半ばに大きな病気するかもしれんからよう気を付けや。お酒、たばこは絶対にあかんで。80歳までは絶対生きるな。晩年は…結構ええ暮らししてるんちゃうか。」

まあ、特に突拍子もないことは何一つ述べておらず、誰にでも普通に当てはまりそうなことばかりである。これのどこが占いなのか?これを指針に何を決めろというのか?500円だからこれだけなのか?まあ、それなりにいろいろ頭によぎるものがあったが、ひとまず時間になったので外に出てしばらく一人で思いに耽っていた。すると、また次の依頼者がやってきて、例のごとく路地中に響く声で中継が始まった。聞く気はなくとも耳に入ってきてしまうのだからしょうがない。

「アンタな、そんなバカ息子の結婚のことなんか心配してる場合ちゃうで。アンタ、癌やで。早よ病院行ってきな。」

血相を変えた女性が瞬く間に飛び出してきた。

この占いのおばちゃんを信じるか否かはもはや愚問になった・・・。

それから約10年後、気付けば私は「遠い何処か、南の方・・・」という言葉どおり、赤道を超え、はるか南半球に降り立った。少々南すぎたが、その何年も後、あの時のおばちゃんの言葉を思い出して「あ、ホンマや!」と呟いた。英語圏での生活が16年経った今も英語は好きではない。むしろ日本語の持つ繊細さと美しさにますます魅了されるようになっている。日本語教師を志したこともあったし、実際に現地の高校生に教えていたこともある。アラサーで結婚もした。おばちゃんにとってはアラサーは晩婚なのだろうか。煙草も酒も一切呑まず、幸い今のところ30半ばを過ぎても大きな病気はしていない。子供は二人で終わりのつもりが、おまけでもう一人授かった。なかなか幸せだ。先祖を守る…ここで解説はしないが、今はその意味がよくわかる。

世の中にはいろいろな感性や特質を身に着けている人、又は独特の波長を醸し出している人がいるものだ。きっかけは些細であっても、そんな人との出会いはある意味興味深い。自分の人生を他人によって枠にはめられるなんてまっぴらごめんだし「当たるも八卦、当たらぬも八卦」占いなんてそんな程度で十分だ。それでもその中で自分の人生をポジティブな方向へ持っていくためのアドバイスがあったとすれば、それはありがたく頂戴すればいいと思う。

果たして、あの占いのおばちゃん自身の人生を見通してアドバイスしてくれる人はいなかったのだろうか?やりたくもないワンコイン占いビジネスを生活の糧として生きていく他に、彼女には選択がなかったのだろうか?夢はなんだったのだろうか?彼女の人生を否定するつもりも何もないが、せっかく人生の指針を頂くなら、自己肯定感を強く持ち、自分の生き方を心から楽しんでいる人物からい頂きたい。

何十年も経った今、結局あのおばちゃんから学んだことはそんなことだった。

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