海外生活とは本来孤独なものである。
海外に住んでいる理由は人によって様々だし、自分が好き好んで海外に住んでいる人たちにとって、そこで暮らしていく上で辛いと感じることはあまりないかもしれないが、ふと感じる孤独感や不安とどう向き合って生活していくかといいうことについては大いに語られる部分ではないかと思う。
自分が最も気持ちを緩めることができるはずの人々から、物理的にも精神的にも遠く離れた場所で生きていく事に対しては、渡航前からある程度心づもりができていたとしても、その期間が長くなればなるほどそれがストレスになることもある。どんなに明るい性格の人物であっても、言語や思想相違の壁に阻まれることは必至で、いつものように自身の思いや考えを外へ吐き出すことができない状況が積み重なると、自分でも自分のことが分からなくなってきて鬱的な状態に陥り、自国への思いを募らせることもある。
一般に、海を渡った人には祖国を客観的に見つめる機会が増えるため、自国の文化や社会情勢や政治的課題についてもっと学びたいという気持ちは強くなるものである。しかし、それは愛国心とは少し違う。海外で「移民」という新しいカテゴリーに属すことになった自分の中で、今まで気付かなかった「自分を確立し主張しなければ、どこに属していいかわからなくなる」という不安や危機感の表れ、つまりIdentity Crisis(アイデンティティー・クライシス:自己認識への危機感)というやつだろう。
筆者の専門分野である「幼児教育」に関する理論の中の一つでもある、人間の発達段階を8つに分けて説明する理論(Stage of Psychosocial Development) を確立したエリック・エリクソン Erik Erikcon (1902-1994)の言葉を借りると、Identity Crisis とは、「自分とは何なのか?」という感覚のことで、言い換えればこれは自分自身という存在の定義を見出すために強い自己分析を行う時期なのだという。特に青年期にはこういう感情を持つ人が多く、自分自身を様々な角度から見つめてみようと、今までと違う環境に身を置いたり、今まで経験したことのないことを試みてみようと考えるものだ。そして、この発達段階を上手く切り抜けられるか否かは、その人のその後の人生に於ける人間関係形成に大きく影響し、その後人生が愛と満足感で満たされた時間になるか、それとも孤独感を感じる孤立した時間となるか決定づけるのに大きな影響を与えるという「対の理論」だ。そして「自分を知る」ということは、青少年期のみならず人間の各発達段階において常に大切な課題であるとEriksonは論じている。
この理論を引用すれば、自分にも当てはまるところがある。あの頃感じていた、本来の自分を取り戻したいという気持ちが「海外」という新たな生活環境を必要としたことも、もう一度自分を客観的に見つめなおすための時間を欲したことも説明がつく。もし海外に出ていなかったとしても、職場を変えたり、実家を出て一人暮らしを始めたりと、間違いなく何らかの行動に出ていたと思う。しかし私はIdentity Crisisに陥ってはいなかった。自分が何者なのか、何のために生きているのかということに関しては、New Zealandに渡航するずっと以前から何の迷いもなく理解していることがあったし、「取り戻すべき自分がどんな自分であるか」については、既に知っていたのだ。
孤独や不安を感じ、本来の自分の居場所を恋しく思う事ことを、世間では「ホームシック」と表現することもあるらしいが、私は今まで16年間の海外生活の中で、誇張無しに一度もこの病にかかったことがない。決して家族間の関係が悪いとか、家族への愛情が薄いとかそういうことではないし、自分が生まれ育った故郷への想いがないわけでもない。ただ自分のIdentityについて迷いがないので、どこに向かおうとも自分のニーズが分かっていて、それに適した居場所を見つけることができる渡り鳥的な感覚を持てているのだと思う。
日本を離れ、何年経過していようともこの感覚を掴みきれていない人というのはやはりいるもので、そういう人たちの口からは、住んでいる国と日本での生活を比較した、欲求不満感いっぱいの言葉が必ずと言っていいほど聞こえて来るものだ。特に、海外に住んでみて初めて日本という国の便利さ、サービスの良さ、居心地の良さは、他のどの国と比べても比較対象にならないほどずば抜けて素晴らしいと実感し、その部分に対するホームシックにかかっている人は非常に多い。確かに旅行者として日本に行ったり、短期間里帰りする時には私もその居心地の良さに酔いしれることはある。誰が何と言おうと日本は便利で最高水準の接客やマナーを提供してくれる素晴らしい国である。卓越した伝統文化の類(たぐい)を見せつけられれば、中国4000年の歴史も、古代エジプト文明も足元にも及ばないと感じるかもしれない。
しかし、そのような世界最高レベルの心地よさを提供してくれる日本が出来上がっている理由は、勤務時間の超過も、休日出勤も厭わず、自分の仕事に誇りを持って熱心に従事してくださっている人々と、その誇りを利用して、劣悪な労働条件やお粗末な職場環境を改善しようとしない日本の歪んだ資本主義論が共存しているからだということを忘れてはいけない。そもそもそんな「理不尽な共存」論が嫌で海外に飛び出してきた立場の人たちが日本に対して「ホームシック」にかかり、かつて自分が忌み嫌ったものを在住先の国にまで求めるようになるなど、ミイラ取りがミイラになるようなものである。
海外で長期生活をする上でそのような的外れなホームシックにかからないようにするためには、渡航後にIdentity Crisisに陥らなうよう、自分の生活環境を変えたり社会との繋がりを深めながら、できるだけ早い段階でしっかり自分自身を知り、どこに居ても自分の現状を客観的に見つめることができるようになっておくことが重要だ。自分が何者で、なぜそこに居て、祖これからどこへ向かうのか・・・それを理解できていない人は、異言語・異文化という高い壁を乗り越える前に孤独や不安に押しつぶされて、ホームシックという病を患うことになるだろう。