NZの教育制度と父親像から学ぶ少子化対策

昨今、日本でメディアが取り上げない日はないくらい大きな社会問題となっている「少子化」。少子化はつまり日本が決定的な人口減少の一途をたどっているということを意味しているわけだが、決して回避できないわけではない。

今日本では一般的に「子供を育てるのにはお金がかかる」事を理由に子供を持つことをためらう人が多いという。逆に言えば、「もっと世帯収入が上がったら」、「政府からの育児金支援があったら」出生率は上がるとされているのが一般の意見のようだ。

ところが、2011年に日本政府が発表している論文をひも解いてみると、世帯収入の上昇は出生率を下げ、子供手当などの政府からの経済的一律保障は出生率を上昇させる見込みがないというデータが出されている。

政府の実態調査によれば、世帯収入が高い世帯 → 妻の学歴が高くキャリア(収入)がある世帯 → 子供の高学歴を意識し教育にお金をかける → 出生率の低下・・という現象が起きているらしく、特に夫の絶対収入(世帯の主要収入)の額が上がると出生率は低くなるというデータが出ているようだ。

また、二人目の出生率は、夫の家事への参入時間が強く影響し、三人目の出生率は妻の家事時間の確保が影響する。つまり、いかに夫婦そろって世帯全体で子育てと家事に取り組むことができるかが出生率向上の鍵となるらしい。

今回はいきなりこのような「らしい」データをもとにしてしまったが、このような日本の現状を知って私自身が感じたことは、今の日本の人々が抱えている「子供を持つことへの不安」の根源は実は大した問題ではないということだ。

先に自分なりの結論を述べると、

■ゆとり教育をする前に、まず日本の受験制度を進学制度に切り替えていく

■無駄に道路を掘り返す事などに税金を使わず、私立校を減らし公立校の質の向上と学費の低下を実現する

■家庭・教育現場で男女問わず幼児期から子供たちに家事と子育ての素晴らしさと大切さをよく教える

これだけでかなり少子化問題は解決していくのではないかという話である。

ここに、毎年出生率が上がり、順調に移民増加以外での国民人口の自然増加が進んでいるNZの実情を踏まえて考えてみよう。

【日本受験制度を進学制度に変える】

NZの義務教育は6歳(7歳の誕生日を迎える前)から16歳までで、実質的には5歳から準備期間として小学校に通い始めることができる。個人的に5歳の誕生日を迎えたら…ということであり、日本のように年度制ではないので、月齢の違う幼い子供たちがひとまとめにされて一斉に義務教育現場に飛び込むというわけではない。そして学年も、6年、3年、3年と分けるのではなく、6歳でYear1に始まり、最終的に16歳~18歳までの間にYear13の過程を終えた人が高等教育(大学レベル)への進学ができるようになっている。

このように、NZの教育制度は「受験制度」ではなく「進学制度」であり、学校でのカリキュラムの進度に関しても「この時期までにここまでを必ず教えておかなければいけない」というような決まりがない。例えばNZの小学校では学習進度を統一するために使われる「教科書」は使用されておらず、「2年生の二学期までに全員が九九を覚えておかなければいけない」とか、「新しい単語のスペルを200種類書けるようになっていなければいけない」というような決まりもない。主には教員の手腕に任され、個別に学習ゴールを立て、一つのクラスの中で同じような学力の子たちを集めてグループを作り、それぞれのグループで得意な分野を伸ばし不得意な分野を強化するというような、個人の自主性に合わせた学習進度を大切にする教育方針をベースにしている。したがって、7歳で九九を全て覚えようが、10歳で覚えようが、それは大きな問題ではなく、大切なのは、本人が次のステップに進むまでにきちんと理解できているかどうかである。低学年の頃に少々遅れたりもたついても、自分が得意なことを伸ばしつつ、時間を掛けて苦手分野を克服していけば、学習に対するモチベーションを下げずに、自主性を発揮した勉強方法を身に付け、大学進学意欲も自然と強くなるという考え方だ。これが「進学制度」である。

これに対して日本の受験制度は「協調性」を大事にする日本の国民性に基づくものでもあり、敷かれたレールを皆で足踏みそろえて歩み、皆でゴール(受験合格)を目指すものの、結局ある一定数の突出した人だけが成功者になれるという制度である。このような受験制度は、例えば戦後高度成長期だった日本には大変有効な制度であったと思う。この制度のおかげで、世界的にみても現代でも日本人の子供たちの教育水準は高く、多くの発展途上国に観られるような子供たちの生活を脅かすほどの激しい貧富の差はない。学校に行けず、空き缶を拾って日々の家計を助けなければいけない子供たちなども見たことがない。国の経済発展のために優れたリーダーを排出する必要があった戦後の日本では、「互いを競い合わせること」でそういった優れた人材の確保を果たしてきたのかもしれない。だがその一方で、敷かれたレールの以外の道を歩くことを恐れ、枠にはまった考え方しかできないリーダーが多いのではないかとも思える。今の日本の政治家たちがなぜあんなに財政のやりくりができないのか・・縦社会の枠の中でしか生きられず、出る釘になることを恐れ、自主性を全く発揮できないのか・・・そういうことを考えれば自然と納得もいく。

しかし、今の日本は十分に経済成長を遂げている。そんな環境でまだこの受験制度を続けることは、敢えてマイナスな影響を与えているように思う。例えば人々は小さな頃から、下手すれば幼稚園に通う前から、常に隣にいつ誰かと競い合う環境で育ち、そこで突出しない限り自分は成功者にはなれないという潜在意識が養われてしまうのではないかと懸念さえするところである。

 

【私立校を減らし公立校の質の向上と学費の低下を実現する】

日本の教育産業は実に儲かるらしい。特に少子化が進んでいる国では、親の期待が子一人に集中し、その湾曲した思いが「よその子よりも質の高い教育を受けさせなければいけない」という意識を育てる。そして親には「お金をかけることで我が子とよその子との間に何らかの格差を付けなければ安心できない」という不安が生まれ、我が子を就学前から塾に通わせたり、英才教育的な習い事をさせて、高い学費を払い良い私学に入学させ、親心を落ち着かせるのだろう。教育産業はそういった親の心理を突いてお金を儲けるわけである。それが一概に悪いわけではないが、個人的には全く不必要だとしか思えない。

NZの大学レベルの教育機関は全て国立である。うち、総合大学は全国で8校しかない。即戦力教育を重んじる工科大学・ポリテクニックも16校しかない。もちろん国民総人口が450万人程のNZと、国民総人口1億2千万人で、国公立大学の数は180校近くほどあるという日本をそのまま比較はできないが、とにかくNZで正式に「大学」と呼ばれるこの24校の高等教育機関は全て国公立であり、それだけに教育制度の充実と平均水準の高さには定評がある。

NZにも分野によって大学同等レベルの資格を取れる私立の専門高等教育機関はあるが、主には就職準備やキャリアアップのために通う人が多く、「他者との競争に勝利するために高いお金を出して私立の学校に行く」という概念は皆無だ。

もちろん中には質の良い教育を提供する代わりに高額な授業料を要する私立の学校もあり、富裕層にはなかなか人気のようだが、高校まで高いお金を出して私立に通おうが、年間2万円ほどの寄付金のみの公立一貫で済まそうが、結局国内の大学は全て公立で24校しかないのだ。そして高等教育への門は高卒新卒者のみならず、社会人にも広く開かれている。学生ローンは永住者や市民権保持者であれば誰でも簡単に組むことが出来、しかも国内にいる限り返済は無利子。返済義務も収入に応じて返済額が決まり、収入がない期間は返済義務が発生しない仕組みだ。誰もが生涯に渡り学びたいことを自由に学ぶことができる環境を作ることで国全体の高等教育に対する意識とクオリティーを高めることを目標としているため、子供に良い教育を受けさせることが出生率低下につながるという様なおかしな現象は起こらないのだ。

 

【家庭・教育現場で男女問わず子供たちに家事と子育ての素晴らしさと大切さをよく教える】

NZは英国女王君主の下に建国された国だ。そして世界で初めて女性に参政権を与えた国であり、初の女性総理大臣を輩出した国でもある。そして日本に比べるとずっと男性と女性の社会的立場や権利が同等であるならば、担う責任も義務も同等であるべきであるという考えが浸透している。そのため、家庭においても子育てや家事への参入は同等であるという意識が高く、(一部の移民文化を除いて)一般的に父親が家事や育児に関わる時間が日本とは比べ物にならないほど長いのである。

余談だが、NZ人の夫/父親を「Kiwiハズバンド」と称することがある。これはNZの国鳥であるキウイバードのオスの性質になぞらえた呼称であるとも言われている。キウイバードのオスは、メスが産卵すると即座に卵の上に座り、その後3カ月もの間卵を温め続ける。その間餌を取りに行くことも思うようにはいかないため、空腹に耐え命を削りながら元気な雛の誕生を助けるのだ。

NZの父親にもそんなところがある。NZで公園に行けば、ベビーカーを押しながら上の子に自転車の乗り方を教える父親なんていうのは至る所で見かけるし、スーパーマーケットでカートを押しながら子供たちと買い物する父親も普通の光景だ。我が家の子供たちの学校でも、昼日中に開かれるマラソン大会の応援に駆けつける半数は父親だし、私の職場の保育園の送り迎えの半数も父親だ。彼らは家に帰れば料理もすれば家の修繕もする。赤ちゃんがいればオムツ交換もするし、食事の世話も寝かし付けもする。NZでは出産時に立ち会わない父親なんて聞いたことがないし、父親が父性を養う機会を奪ってしまう里帰り出産など狂気の沙汰だ。

それは彼らが「イクメン」だからではない。ただ彼らが夫であり父親だからだ。そんな父親の背中を見て育つ子供たちの心の中には、将来自分が親になる事への憧れが、コンパスとなってその後の人生を左右するようになる。そして、そんなコンパスを心に携えた人たちが舵を取る船が到着する先には、活気と希望に満ちた未来が望める国の姿があるだろう。

 

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NZの教育制度と父親像から学ぶ少子化対策」への2件のフィードバック

  1. NZでは大学卒業でなくてもそれなりの職を得て生活することができるのが一番の違いですね。そのため、大学を卒業する人は同じ年齢層全体の二、三割くらいでしょうか?あと、新卒一斉採用がなくマネジャークラスも含めて公募なのも直接は関係なくとも大きな違いですね。

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    • Yoshiさんコメントありがとうございます。その通りですね。いわゆる「士業」となれば話は別ですが、一般的な職種なら、NZで採用される条件として一番重要視されるのは実は「経験」と「就労可能なビザ」かもしれないですね。もちろんそこに技術と資格が同じくらい大切なこともありますが、私が今まで一番感じたのは「経験」かもしれません。あとは「セルフプロモーション力」も大切ですよね。NZでは小学生の頃から何かについてリサーチし、人前で自分の意見を織り交ぜてプレゼンテーションする力を養うことを大切にしますよね。日本との違いは尽きませんね・・。

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