人生のエキスパート

世の中にはとてつもなく興味深い人生を送ってきた「人生のエキスパート」たちがたくさんいる。私がいつも興味を惹かれるのは、彼らの内面から醸し出されている、何事にも動じない「穏やかさ」である。一本の映画を製作できそうなほど波乱万丈な彼ら人生の歴史の痕跡は、一見その穏やかな表情からは全く感じ取ることはできない。一体どのようにしてその平常心と平穏に流れる日々を手に入れることができたのかと、根掘り葉掘り訊ねてみたくなる。

今から15年ほど前、私がNZに渡来してから5度目の引っ越し先の家主、それが正にその「穏やかさ」を持つ彼女だった。NZで活をはじめてからそろそろ1年になる当時、度重なる予期せぬ引っ越しを余儀なくされ少々心が疲れ始めていた私に、心地よいGranny Flat(二世帯住宅タイプの家の一角にある独立した下宿部屋)を「学生さんからお金を取るなんてできないわ」と、誰もが驚くような破格で提供してくれた彼女は、いつも他人への思いやりと労わりの気持ちを自然に行いで示す事ができる人物で、後々私にとって最も見習うべき人の一人となった。

離婚という言葉にまだまだ偏見のあった時代に二度の離婚と三度の結婚を経験し、ありとあらゆる困難に直面し、その度に体当たりで乗り越えてきた彼女は、人を決して自分の「ものさし」で勝手に推し量ることはしない心豊かな人である。その反面、とても現実的マインドの持主であり、判断力と行動力けている。私はそんな彼女を人生の勝利者であると認めている。そして私にとってそういう人物の近くで生活することは、巷のどんな自己啓発コンサルタントやライフコーチなどのセミナーに参加するよりも、何百倍も価値があると感じる。

私の人生、何にも特別な事なんてないわ。ただ家族にとって正しいと思ったことを迷わず選んで生きてきただけよ。

彼女がこう語ったのは、今から50年前、彼女が最初の結婚生活で暴力をふるい続ける夫から、幼い3人の子供たちを連れて夜逃げした時について語ってくれた時の締めくくりのセリフだった。

暴力夫から逃げ出すことを考えていた時に他人の庭先に見つけたキャラバンでの新しい生活は決して楽ではなかった。身一つ同然で、引き出しに入っていたその週の生活費をわしづかみにして飛び出してきたものの、暖房器具は毛布のみ。幼い三人の子供たちと身を寄せ合うようにして寒い夜を凌いだ。それでも彼女の心には光があった。身体的暴力という理不尽で卑劣な扱いを受け続けた日々からの解放感は、何にも代えがたい幸せだった。

彼女はその後キャラバンのオーナーに借りた家庭用ミシンと簡単な裁縫道具で洋服の修繕・リメイク業をこなし、子供たちのために安全と精神の安定のある生活を確立した。人々が持ち込む洋服を修繕し、また修繕不可能になった服を引き取って、それをリメイクし販売する・・・まさにほぼコストゼロからアイデアとスキルだけでビジネスを立ち上げた女性起業家である。

彼女には常に「すぐ目の前にある目標」があった。「子供たちを食べさせること」「暖房器具を揃えること」「電力や水などのライフラインを絶やさないこと」そういった母親としての日々の一つ一つのミッションが、彼女のモチベーションを維持してきた。

彼女は数年間その洋裁業を続け、ついにキャラバン生活から脱することに成功する。そしてほどなくして二人目の結婚相手に出会う。次は優しく、そこそこ経済力のある夫だったが、今回は相手の連れ子達との折り合いが合わない。子供たちは実子を含めると7人もいた。うち数名は既に思春期に入っている年齢で、なかなか母親として受け入れて貰うことが出来ず、二度目の結婚生活のほとんどは、連れ子たちとの信頼関係を築くことに尽力し、そこで燃え尽きてしまったのだという。

人に受け入れてもらおうなんて思っちゃだめね。期待もしちゃいけない。どうせみんな違うんだもの。違うことは何も悪くない。ただ自分がそれを受け入れられないから悩むのよ。

人間関係を築く上で一番抱いてはいけない感情は「相手に対する勝手な期待」かもしれない。一見ポジティブな「期待」は直ぐに「裏切り」というネガティブ感情を勝手に生み出す。期待するということは、勝手に相手を自分専用の物差しで測り分別し、最終的にその規定に当てはまらない事が分かった時に、相手への失望感を抱くということだ。それは裏を返せば実に自己中心的な感情であり、当然相手が自分の考え方に共感し、期待に応えるはずだという高慢な思いの表れでもある。

そして「人に自分がどう思われているか」を心配するほど無駄な意識というのも他にない人にどう思われるかを気にしたところで自分には何のコントロールもできないからだ。そんなことに気を揉むよりも、「自分は人をどう見ているのか、どう見るべきか」ということを意識するほうがよっぽど建設的な人生を送ることができるのだ。

彼女が三度目の結婚相手に出会ったのは50代に入ってからだというのだから、人生捨てたもんじゃない。彼女が三人目の夫、つまりそれ以来30年近く連れ添っている現在の伴侶に出会ったのはなんと、シングルマザーになってから初めてバケーションを楽しむために参加した、クルージングの船上だったそうだ。二度目の離婚後、子供たちを育て上げるために全力で走ってきた彼女には、それまで自分に余暇があったら…と想像する余裕さえなかった。

子供たちが大きくなったからって、クルーズに行ける程余裕があったわけじゃないわ。でもお金が十分貯まる日なんて待っていたら死んじゃうじゃないの。お金持ちしか楽しめないことなんて、世の中にはないのよ。そうしたらほら、この人がいたのよ。笑

目を細めて面白おかしく話す彼女の無邪気な笑顔には、人生を楽しむための自分の判断力と行動力に対する自信のようなものを感じた。

そしてキャラバン生活を得て、節約の全ての術を知り尽くした彼女は、いつしか家を買った。しかもキャッシュで買った。

リビングからの景色を見たとき、”This is it!” (これだわ!)って思ってね。他にも買いたいって言ってる人たちがいたみたいだけど、現金もって直ぐオーナーに会いに行ったら、ずいぶん安くしてくれたのよ。

彼女のマカオの勝負師も顔負けの大胆さと潔さは誰もが見習うべきである・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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