Imagination is more important than knowledge. Knowledge is limited. Imagination encircles the world. ‐ Albert Einstein
想像力は、知識よりも重要だ。知識には限界がある。想像力は、世界を包み込む。‐ アルベルト・アインシュタイン
新しいことを始める時、何かで成功したいと思う時、身に付けていたい能力の一つであるのが「発想力」だ。固定観念や常識にとらわれない豊かな発想力は、いつでも時代をリードする画期的なアイデアや商品を生み出したり、世紀最大の発見や発明を生み出す原動力となるからである。
発想力とは何か?
発想力とは、一言でいうと「連鎖的な問いかけの先にある答え」だ。何か一つ不思議に思ったり分からないことが頭に浮かんだ時に、そこからまた次の問いを思いつき、それを知りたいと思う好奇心の積み重なりだ。つまり一つの問いから一つの答えで完結せず、「もしそうならば・・・」「でもそうすれば・・・」と、どんどん疑問を連鎖させ、その答えを知りたいという強い気持ちから生じる力なのである。
いつも学校で勉強ができた人は発想力や創造力に長けているというわけではない。一般的に学校ではまず目標を立てて、それを達成するために既存の情報や知識を学ぶことの方が主流で、場合によっては豊かな発想力や創造力を排他させてしまうことも有りうる。発想力というのは特別な能力であると思われがちだが実は誰もが生まれた時から持っている原始的能力である。
Every child is an artist. The problem is how to remain an artist once we grow up. - Pablo Picasso
すべての子供は生まれながらにしてアーティストだ 問題は、大人になってもアーティストでいられるかどうかだ。- パブロ・ピカソ
アート界の鬼才ピカソが言うように、子供たちは発想力の宝庫である。つまり誰もが豊かな発想力や想像力を持っている。ただ大人になるにしたがって、要らぬ知識や経験、偏見が邪魔をして、人間が持つこの最も原始的で豊かな能力を縮小させてしまうのである。
私は三人の子供を育てている母親として、そして幼児教育者として子供たちと接する時間が長く、そのことを日常的に理解する機会には大いに恵まれている。ただ、「子供が大好き!」「子供は可愛い!」というようなありきたりな気持ちで母親をしているわけでも、幼児教育に携わっているわけでもない。子供たちは「興味深い」。子供たちの心身の発育を自分の目で追い、その段階に応じてありとあらゆる方法で学びの機会を彼らに投げかけてみることで得られる反応は、いつも自分の想像をはるかに超えた発想で実にパワフルである。最近では経済的な理由で子供を持つことをためらう夫婦や、社会の規律にそぐわない言動をする子供が受け入れがたいという理由で子供を嫌う大人が増えていると聞くが、それは実に勿体ない考え方であり、愛・柔軟性・好奇心・発想力に乏しい人たちが持つつまらない価値観である。
Our greatest natural resource is the minds of our children. – Walt Disney
我々のもっとも偉大な資源は、子供たちの心である。- ウォルト・ディズニー
最近、職場で3~4歳の子供たちを集めて「カメ」についての本を読んだ。そもそもカメを実際に観たことがない子供たちは大変興味を示し、次々と彼らが持つ「カメについての不思議」が飛び出してくる。「どうして首がギューンと伸びるのか?」「どうして歩くのが遅いのか?」「どこに住んでいるのか?」。自分なりの答えはあるものの、大人に比べて言語表現力の乏しい年齢の子供たちには、そんな「なぜ?」について絵に描いてもらったり、工作してもらうことで表現させてみる。
まず、なぜ首がギューンと伸びると思うのか?という問いかけをした子が描いた絵は、尾がとても長く伸びて自由に動かせるというカメだった。
背中が痒いから掻こうとしてる → でも後ろを見て歩いたら危ない → 尾が伸びれば背中に届く。
よそ見をしたら危ないので、しっぽが長い方が良いという意見だった。確かに脇見運転は危険だ。
カメはなぜ歩くのが遅いのか?という疑問があった子は工作で陸カメを作った。見ると、体には、脚が四方八方に無数についていた。不気味だ・・・。
歩くのが遅いのは、脚が4本しかないから。→ 脚を増やせばいい。
回転率が低いなら上げればいい。もっともだ。また、もう一人のこの絵には「大きな翼」が付いていた。たしかに翼を広げて空を飛べれば話は早い。カメの世界観もぐんと広がるだろう。
そして、カメはどこに住んでいるのか?という疑問を持った子の絵を見てみると、カメの甲羅が素敵なお城に代わっていた。そして、傍に大きなカタツムリもいた。
カメは家を背中に背負っている → 可愛くない → きれいなお城にした方が良い。
カタツムリはそれを見て「いいな」と思っているのだそうだ。商品化してカタツムリ社会にも販売すれば大好評かもしれない。
こういう考えは何も特別なものでもなければ頭を捻って出てくるものでもない。子供たちの「知りたい」や「そうだとしたら・・」という気持ちの連鎖から生まれてくる彼らの豊かな発想であり想像力の表現である。
Inside every sophisticated grownup adult is a little kid just dying to get out. – Walt Disney
どんな洗練された大人の中にも、外に出たくてしょうがない小さな子供がいる。- ウォルト・ディズニー
子供のような限りなく豊かな発想力は、「知らないことを知りたい気持ち」「遊びながら新しいことを学ぶことが楽しい」という素直な欲求が原動力となっている。それを考えると「知りたいこと」が減り、「遊びから学ぶ時間」が奪われる大人としての日々の中でこの発想力に限界を感じるのは当然のことである。子供の頃のようなワクワクした日々を取り戻すことが、発想力を豊かにする鍵であるとしたら、そんな毎日を送れるように環境を変える必要があるのではないだろうか。
旅は「まとめて」経験するものではない
環境は一時的に変えること、継続的に変えることが大切なのであって、仕事や定住地をそっくり変えてしまおうというわけではない。環境を常に変え、ワクワクした気持ちを定期的に呼び覚ますことができる最適な方法は「旅に出ること」だ。子供の頃の好奇心を持ち続けるためには、大人になっても世の中を見ることを止めてはいけない。
かといって、「自分は20代の頃にバックパック一つで数か月かけて50か国を旅してまわった経験があるから、もう十分世界は観た。」などと思ってはいけない。それは確かに自分にとって素晴らしい人生経験となったかもしれないが、それは当時の経験であり情報である。世界は今も刻々と変化し続けていて、その変化を直に感じることが自分の発想力の源になることを忘れてはいけない。数日間でいい、自分の心境と目的に応じて行き先を定め、定期的に、継続的に旅に出る方がよっぽど実りある経験になる。
代り映えのしない風景、いつもの風の匂い、道に迷うことのない通勤路、毎日見る同じ顔触れ、昨日と同じ感触、鈍い味覚・・・そんな環境から飛び出し、定期的に新しい環境に身を置くこと、ワクワクすることで、鈍っている脳神経にスパークを起こすのだ。会ったことのない人、行ったことのない場所、味わったことのない味、観たことのないもの、感じたことのない風・・・それら全てからインスピレーションを受け、新たな「知りたいこと」に出会うことで、「連鎖的な問いかけ」が始まり、新しい発想が生まれるのだ。
日常の遊びの中で新しいことを学ぶことができる小さな子供たちと違い、大人たちは自ら努力して非日常を作り出さなければいけないことを忘れてはならない。それを忘れて怠り、つまらない大人にはなりたくないものだ。